真性ゆとり世代として

他のゆとり世代とは一緒にしないでほしい

子供の頃のお話

よくおねしょをしていた
それはもうずっと…
小学校入学時には始まっており、これが中学生になっても止まらない
毎日ではない。だが週に一度。月に一度。確実におねしょはやってくる
ひどい時は2、3日ぐらい連続でおねしょ。よく覚えてない
あまりに事が続くと恥辱で脳がこの経験を記録することを拒むのだろう
中学三年になっても度々やらかしていた
それが、高校に入ってパタッと止んだ。気づいたらしなくなっていた
いや、中学三年生の夏から冬にかけての受験期間には終わっていたかもしれない
それぐらい突如、急に、唐突な終わりだった
 
 
 おねしょ。トラウマ染みた感情が蘇る一言になっている
 
 起きた時に体のどこにこんな水分を貯めていたのかと思うほど、出る。
前夜、寝る前に出す。でも翌朝には出る
 
 一番嫌だったのは起きた時に下腿部がびしょびしょになっていることではない 
起きて一瞬後には「やってしまった」と子供ながらに深い後悔を抱く。が、これでもない
濡れたパンツとズボンがぴったりと肌に張り付いているのがなんとも不快で、これが現実なのだと一枚の濡れた布が夢の余韻を頭から吹き飛ばす
だがこのまま一拍子二拍子とじっとしている。なぜか、
それは、限界まで水分を吸った下着を、これ以上溢さないように。
まるで水をなみなみまで注いで表面張力でプルプルしているような状態の容器を腹の上に置いてあるかのような感覚で真剣にじっとしている
その時のなんとも言えない自虐感覚。結果は出ているというのにそれでも現実を認められなくて、これ以上事態がひどくならないように、まるで甲羅に籠る亀のように、布団に籠ったままで。
 
だが一番嫌な時はまだ来ない。もう一生味わいたくない、プライドがズタズタにされる感覚。
悲しみから、あらゆるマイナスの感情を小さな躰にぎゅっと詰め込み、とてつもない負のエネルギーの坩堝を全身の奥底で感じる瞬間。
思い出すだけで手が震える
 
 その瞬間とは一緒に川の字で寝ている家族が起きた時、特に母親だが
母親が朝、違和感を感じた後にパッと布団を剥ぎ取られる。瞬間、自分のやってしまった事を世界中の人々、さらには神の下に晒されたかのような感覚。
 
そして母に言われる『一言』 この、「一言」が一番傷つけられる
それは日々違った「一言」であった
これがどんな一言でも自分が殺されるかのような強さと凶器性を持つ
 
そして後始末。鬱陶しい。
布団、シーツ、衣類。面倒臭い。
それを処理することがずっと慣れない。付きまとう屈辱も。
だが困ったことにおねしょというものは自分の意思ではコントロールできない
泣きながら起きたこともある
恥ずかしくて恥ずかしくて
今でもその感情がフラッシュバックするほど自分の中に色濃く残っている
 
 
寝る前におしっこしてから寝なさい
おねしょをした事がある人はみなこの言葉に覚えがあるだろう
 
 そこである年、ある時に母がとった行動がある
寝る前に「魔法の布」を俺の股の間に挟むというものだ。
この「魔法の布」というのは、靴の中敷のような形で白色とベージュ色の間のような薄い灰色
期待とは裏腹にこれといった効果はなかった。
早朝、ぼくは期待していた分の深い深い落胆を味わっていた
そりゃそうだ、ちんちんに緩い圧迫を加えたところで膀胱は体の中。ちんちんは体の外。いわば別の市町村だ。意味がない
だが絶望の底にいた当時の自分はこの魔法に縋るしかなかった
寝しょんべんをしそうな時や、した次の日には勝手に母のタンスから取って股に挟んでいた
そして母もそれは止めなかった
そしてこの魔法は二人の秘密であった。
特に約束やらはしてないし効果も無いのだが魔法が解けてしまう気がしたからだ
そんな日々を過ごしていくうちに
今では20歳の立派な大人に成長した
もうあれからかなり時が経つ
今ではもちろんの事おねしょをしない日々を過ごしている
あるとき前触れもなくふと当時のことを思い出した
もう昔の話だ
 しかし
あの「魔法の布」とはなんだったのか
股に挟むと異様に安心感が湧き上がるまさに魔法の布
今ならわかる
あれは
母の
布ナプキン』である
 
ありがとうございました